2006年09月13日

頭を使う

オシムジャパンの選手たちは、「考える」ってことを難しく考えてしまっているんじゃないだろうか?

オシムのサッカーには、「考えて走る」なんてキャッチフレーズが付いてしまっているけど、オシムは本当に「考える」って言葉を使っているんだろうか?

日本語の「みる」に、英語では意味の違う複数の言葉が存在するように、オシムの「考える」には、日本語の「考える」とは違う別の意味があるんじゃないだろうか?

確かに、オシムの練習には考えなければならない要素が多くあるらしい。
だけど、試合中まで同じように考えなければいけないのか?

試合中に「考える」暇なんか無いと思うんだけどな。

探して、気づいて、判断して、動く。
これだけで充分だと思うけど、何か足りないのかな?

「何を」探さなければいけないのか?
「何に」気づかなければいけないのか?
「何を」判断すればいいのか?
「何を」すればいいのか?

そのために、「何を」観ればいいのか?

これらの「何」を練習中に考えて、頭の中を整理しておけば、それでイイんじゃないのかな?

試合中だってのに、何かを考えよう考えようと無理しているから、
目の前で起こっている事に気づかない。
起ころうとしている事が見えてこない。

そんな風に思えて仕方がないんだけど、どうなんだろうか?

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» 2008.04.29のさっかーのーとから from footbrain

スクールとかでできないことは、ボールをもってからすぐはんだんできないこと。いつも、ボールをとりかえしてから止まって「なにをしよう」って考えるから相手にまたとられる。だからそこをおとうさんと練習したい。

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