Top Page 親子で球蹴り 「教える」ということ 聞いてみなければ分からないこと

2010年04月07日

聞いてみなければ分からないこと

ピッチサイドから、ポジショニングを注意された。 なのに、ポジションを注意されたと勘違いしたんじゃない?

ポジショニングを注意されたら、タッチライン沿いから離れなくなってしまった。

簡単に処理できるはずの浮き球のコントロールをミスして、タッチの外に出してしまったり、綱渡りをするみたいにタッチライン沿いをドリブルしてみたりで、どう見てもいつもと違ってた。

きのう、こどもと二人で近所の公園をいつものようにランニングした時に、試合の反省会をしながら聞いてみた。

「コーチにはなんてアドヴァイスされたの?」
「『仲間がボールを持ったら、ラインいっぱいに開いて、パスを受けられるようにポジショニングする』って」

「じゃあ、どうして開くのか知ってる?」
「スペースを作るため」

「なんのためにスペースを作るの?」
「使うため」

「誰がなんのために使うの?」
「仲間がボールをもらうため」

「そうかな?自分で使うためだと思うけどな」
「そうなの?」
「なんだ、だからなんだ」

そう、だからなんだ。
だから、仲間のために目一杯スペースを作らなきゃって考えたんだね。
だから、タッチライン沿いから離れちゃいけないって考えたんだ。

だけどだからって、窮屈なボールコントロールをする必要もないし、タッチライン上をドリブルする必要は無いと思うんだけどな。
こどもの考えは極端で面白い。大人の常識では計れないのかな。

「開く理由はもう一つあるよ」
「パスをもらうため」

「どうしてパスをもらうために開くの?」
「相手から離れるためかな」

「角度を作るためだと思うな」
「そっか」

「パスをもらう角度を作れば、真後ろを向いてパスを受けなくてもイイだろ?
広く全体を見渡せる体の向きもできるよな」

「そっか、やっとわかったぁ」

「なんだよ、理由も解らずやってたのかよ?」
「・・・」

「分からない事があったら、ハーフタイムにでも聞けば良かったのに」
「こんどからはそうする」

「なんだぁ、そうだったのかぁ...」

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