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2007年01月26日

「体罰」の理由

僕が小学生だった頃の話です。
体育着に着替えた僕らは体育館にいました。
何列かに整列させられ、先生が赤い顔をして何か訳の解らない言葉を話していました。
「あまったれている」とか「根性が」とか「気にくわない」とか、
「たたき直す」なんて言葉も言っていたような気がします。

その先生は、大きな声で「手を挙げろ」と僕らを怒鳴りつけました。
体育館にいる僕らみんなは、一斉に手を挙げましたが、
「いいと言うまで下ろすな」とも言われました。

僕は何故手を挙げ続けなければいけないのかを先生に聞きたいと思いましたが、
そんな事が許されるような雰囲気ではありませんでした。

ベソをかき始めた女子もいました。

その理不尽な姿勢を続けさせられた記憶だけが残っています。
今日のような寒い朝だったと覚えています。
学校中の児童が朝礼に並んでいる姿を、僕らは教室の窓からこっそり窺っていました。
首謀者がいたわけじゃありませんでした。
教室から外へ出るきっかけを逃し、「あれ、みんな行かなくていいの?」って、
お互いに思っていたはずなのに、結局、みんなで教室に隠れていました。

担任の先生が小走りにやってきましたが、とても怖い顔をしていました。
「一列に並んで、歯を食いしばれ」と言われたと思います。
僕の左側に並んでいた友人の頬を、先生は平手で叩きました。

僕の頬も叩かれたはずですが、その記憶はありません。
説教をされた言葉も覚えていません。
だけど、この場面の映像は今でもよく覚えています。

先生が僕らに伝えたかった事は、胸に染みこんでいます。
先生に叩かれた理由を僕が忘れる事はないと思います。

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