「勝負」
僕が子供の頃は、メンコやベーゴマなんかで毎日のように勝負していた。
子供同士の勝負といっても、負ければ持っているメンコ全部を勝った相手に取られちゃうような、
そんなルールの勝負を挑まれたりするんだから、真剣勝負だった。
強い相手に取られたくなかったら、勝負を受けなければいいんだけど、
勝負を受けないと無条件で何枚かのメンコを献上しなければならないルールがあったりしてね。
とにかく、逃げる訳にはいかなかったもんだ。
JFA キッズハンドブックにも、
Dorothy Law Nolteの「子は親の鏡」(Children Learn What They Live)
という詩が紹介されていますが、そのドロシー・ロー・ノルトの著書です。
草サッカーで初めての相手と試合をする時や、講習会などで初めて会う人と練習するときなどに、ボディーコンタクト(いわゆる「あたり」)の加減を、どこまでやっていいものか、いつも考えてしまう。
こどものサッカースクールでゲームを観戦しているときも、それを考えて(しまって)いる子と、そうでない子がいるのがよく分る。考えていない子は、あたりの加減を知っている子とそうでない子に分類され、加減を知っている子には、そのほとんどに年上の兄弟がいる。
年上の兄弟とだったら、遠慮無く戦う事ができる。
相手は適当にいなしてくれるし、やりすぎれば叱ってくれる。
いわば日常から一対一の練習をしているようなものだ。
昨晩のこと、子供が「将棋をしよう!」と言ってきた。
ハリー・ポッターと賢者の石を観た時に、「チェス」に興味を持ったのがきっかけだ。
「チェスってなに?」と聞かれた母親が苦し紛れに、「外国の将棋よ」と答えてしまったものだから、こんどは「将棋ってなに?」と切り返えされてしまった。
エアコンが使いづらい。
「エアコンが使いづらい」ということは、9割方、「エアコンのリモコンが使いづらい」ということだ。
おそらく、エアコン本体を作る人とリモコンを作る人は別の人で、リモコンのボタン配置などの「見た目」のデザインをする人と、「使い勝手」をデザインする人はまた別の人なんだろうな。
高価な高機能エアコンでは、リモコンのデザインにどのぐらい開発予算を割いているんだろう?
僕ら親子の目の前で、信号を無視して横断する馬鹿者がいた。
子どもは僕に向かって、「信号は赤だったのにね」と言った。
いつもなら「信号は赤だぞ」とその馬鹿者を叱るはずなのに、
「きょうはどうしたの?」と言いたげな顔をして…
「意識」という文字が目につく。
「技術」はそこそこあるけど、「意識」が足りないとある。
「お勉強」はできるけど「しつけ」ができていない、という事かな?
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