2006年04月26日

手本になる

昨日は久しぶりに、こどもと二人でプールに行った。

クロールを教えて欲しいという要望に応えて教えてみる、「これでイイのかな?」って疑問に思いながら...

こどもは、クロールで泳げる僕なら当然教えられる、教えてくれるものだと信じて疑わない。だけど、僕は水泳なんて誰かに教わった訳じゃないし、正直な話、30歳を過ぎる頃まで水が怖かった。

スポーツジムで泳いでいる人の様子を観ながら見よう見まねで泳ぎを覚えて、その過程で怖い水を克服していったぐらいなんだから、人に水泳を教えるなんてとてもじゃないができるとは思えない。

水泳の教本を読んで、教材をテレビで観ても、教えられるとは確信できない。

サッカーの経験がないお父さんが子供に教える時ってのは、きっとこんな感じなんだろうな。間違った事を教えていても気付かないんだろうし、子供もそれを信じちゃうんだろうな。

仕方がないので、僕が怖い水を克服した過程を子供に体験させてみた。

「心配しなくても、人間は水に浮くんだぞ」
「息は吐いてからじゃないと吸えないもんだ」
「脚が沈んでも心配しないで、浮いてくるまで待ってような」

なんてね。

だけど、こどもは水を怖がっている訳じゃない。僕が手を貸してあげようとすると、自分から払い除けるぐらいで、結構楽しんでる。

クロールで泳いで見せてあげたいんだけど、怪我をした左肩が回らない。

こどもの手本になる事。これが一番大事なんだね。

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