Top Page 親子で球蹴り 「教える」ということ 誰のための教育?

2005年01月28日

誰のための教育?

馬鹿馬鹿しい。
「ゆとり」だの「総合的」だの言ったって、看板やコピー替えて同じ商売しているんだから…

こうなるのは最初っから解っていた事。
ちょっとやってみて駄目だったら元に戻せばイイやって思っていたんじゃないの?

昔のままでも教師の裁量で「ゆとり」を作れる仕組みがあればイイんだし、
今のままでも「総合的」を『国語的に考える時間』とか
『数学的に考える時間』として利用できればイイんだからさ。

そもそも、教科担任制じゃないんだから、もっと教科の垣根を越えた授業ってもんができるはずなのに、

それを許さない奴らとできないやつらが悪い。

「学力の低下」を危惧するんだったら、自分でも理解できない分数を国文科卒の先生が教えるようないい加減な事をやめて、

教科担任制にしてしまえばすむ事。

教科担任制にした上で、「総合的」を導入すればよかったんじゃないの??

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