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2007年10月22日

チームプレー

八人制の大会でした。
うちは登録選手18人全員で参加していましたから、逆の意味で選手のやりくりが大変でした。

『勝つことと育てることは、矛盾すると同時に矛盾しない。その矛盾の間でコーチは生活している。』

二日間で行われた試合の間、誰に言われる訳でもなく、試合中に選手たちが座るための折りたたみベンチを、ひとりで運んでくれていた選手がいました。

はじめのうちは、「元気をアピール中です」とひょうきんな事を言っていましたが、彼の気持ちはそれだけではなかったと思います。

二日間で行われた七試合のうち、ほんの数分でしたが彼にも出場機会がありました。だけど結局、彼は全試合分のベンチ移動を自ら進んで手伝ってくれました。

どこかの記事に、

本当のチームプレーとは、
「チームの(仲間の)ために(みんなで力をあわせて)頑張る」
ではなく、
「チームの(目的の)ために(自分がやるべきことを)頑張る」

って書いてありましたが、僕もまったく同感です。

先だって、タイでアジア大会が開かれた際に 「日本の団体スポーツは世界で勝てなくなった」 という記事を見ました。私はその原因は何も体格や体力、技術の差だけにあるとは思いません。 
いつかラグビーのジャパン監督の平尾さんが自チームの試合評として 「外国チームはどれだけ自分が長くボールをキープするかにこだわるけど、日本のチームはどれだけ早く誰かにボールを渡すかを考える」 とおっしゃっていたけど、これって日本の団体スポーツの観念のおとし穴を鋭くえぐっているコメントだと思いました。

まさに、「日本の団体スポーツの観念のおとし穴」ですね。

仲間のために走り回ってボールを取りかえし、息を切らしているはずなのに、仲間のため、 そのまま相手ゴールに向かってドリブルを続けてくれる選手に向かって、「パスしろ」なんてベンチサイドで平気で言っちゃう国民性ですから、格好ばかり海外のサッカーを真似してみたところで、変わるはずがない。

自己鍛錬、そして自分の役割に徹することが自分のためだけではなく、自然とチームのためになっているのだという考えを、私は、はっきりと概念という形で自分の中に植えつけました。 根底から叩きあげた 「個」 というのは、そう簡単に崩れ去ることはありません。 たとえ、少々しなびてしまうことはあっても復活できる底力があるのです。
チームスポーツなのだから、みんなで頑張るのは当たり前のこと。 でも、まず自分がしっかりしなきゃ、人を支えることなんて出来ないですからね。

この大会期間中、僕の観ている前でグリーンカードが提示される機会はなかったけど、僕はこの選手にグリーンカードをあげたいな。

『大事なのは今日の結果ではなく、明日子どもがどんなプレーをするか楽しみにすること』

この選手が将来どんなプレーをしてくれるのか、とっても楽しみです。
ありがとう。

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» 「知」のスピードが壁を破る from footbrain

主体性よりも協調性が重視される。チームワークを協調性だけで成り立たせようとすれば、横並びをよしとして、出る杭をよってたかって打つ方向に走る。

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