2008年01月29日

技術の精度

日本スポーツ学会の「スポーツを語り合う会」で、昨日は為末大さんの話を聴いてきました。

テーマは『為末大さんに走りの哲学を聞く』。

為末さんの話はとっても興味深く、話を聴きながら考えさせられました。
「考えるヒント」をいっぱいもらってきました。

そして、日本人は難しい技術で勝負すべきなんだなって、あらためて感じました。

日本人の足を速くする (新潮新書)日本人がメダルをとれるスポーツは、考えてみるとみんなそうです。

体操も水泳も柔道も、技術を磨いて精度を高めて、そこで勝負をしている。
自分が勝負できるステージに勝負を持ち込んで、自分の得意な部分で勝負する。

日本人が世界に誇れるのは、やはり「技術の精度」でしょう。
サッカーでメダルを狙うのであれば、「技術の精度」が絶対に必要だったはず。

海外から持ち込まれる新しいサッカーやトレーニングなどの方法も、彼ら(=海外の人)が有利にサッカーをするための方法です。それらが日本人に適しているとは絶対に言い切れないはずなのに、そればかりを手本にし、真似ばかりをしてはいけなかったはずです。

なぜ最初に疑ってみなかったのかなって、為末さんの話を聴きながら考えました。

今更ながら「技術の精度」なんて言わなければならない現状が、日本のサッカーにはあります。

オシムさんのおかげで認識を新たにして、岡田監督が掲げた、「」だって、「技術の精度」無くしては成り立たないはずです。

というより、現在の「技術の精度」では難しいんじゃないかなと感じてしまいます。

「接近、展開、連続」で海外の選手との対格差を帳消しにするためには、これで勝負できるステージを創り出し、確保することが必要です。

だけど、これでやっと世界と互角に戦えるだろう状況ができるわけで、そこから先には、より高度な「技術の精度」が必要なはずです。

自らの繊細な五感を研ぎ澄まし、微妙な違いにこだわりながら技を高めていく、という私のやり方は、まさに典型的な職人気質の日本人流のものです。

日本人が日本人である自分に拘ってサッカーを考え抜けばいいんだろうなって、

為末さんの話を聴いて思いました。

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» 動きながら from footbrain

為末さんの本『日本人の足を速くする (新潮新書 213)』を読んでいたら、走り込んでボールを蹴る直前になってタイミングを合わせようとする、あるこどもの動作が思い浮かびました。

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