2007.07.28のさっかーのーとから
7月28日土曜日晴れ
いいせんしゅは、さきまわりをする。
7月28日土曜日晴れ
いいせんしゅは、さきまわりをする。
こどもと二人で居間でで寛いでいたりすると、僕の膝に上ってくる。
小さかった頃は、僕の膝に座って、僕のおなかの上で寝ていたっけ。
小学生になってから、やらなかった事なのにどうしたんだろ?
自分の部屋で一人で寝るようになったからだね、きっと。
一人で寝るようになって、ちょっと寂しい思いを味わっているから、人の温もりが恋しいのかな。
12月だっていうのに、一日中ランニングシャツに短パンで過ごしているから、身体が冷えちゃうって訳じゃないよな。
「最初が肝心」とばかり、こどもがまだ小さい頃から厳しく叱ってきました。
だから、保育園に通っている頃のこどもはいっぱい叱られました。
叱られて直すことができれば、当然叱られる数は減ってきます。
小学生になって叱られる事が少なくなったこどもは、叱られない立場になったと勘違いしています。
「叱られなくなった」のは、僕にしてみれば「普通になった」、いわば「当たり前になった」だけの事なのですが、こどもは「(なにを)やっても良くなったんだ」と誤解していたようです。
僕も小学校のときは、いじめに遭いました。
僕がいじめに遭った理由は、つるむのが嫌いだったから。
僕は体格がよく、体力にも自信があり、事実喧嘩が強かった。
自分で喧嘩が強いと思っているから、わざわざ喧嘩をしたいとは思わなかった。
喧嘩をすれば相手が病院へ行くような事になってしまうから、それが怖かった。
喧嘩をして、親に迷惑をかけるような事は決してしたくなかった。
いわゆる「一匹狼」だったんだね。
だから、回りからは浮いていた。
僕と喧嘩をしても勝てない事がわかっているような奴らだから、
僕が喧嘩をしないって気づいていた奴らだから、
集団で陰湿ないじめをした。
みんながやれば怖くないってな感じで、誰もがいじめをしていた。
相手が集団になってしまうと、僕には手がつけられなかった。
最近は、僕以外の人にサッカーを教わることが多くなった子ども。
ずっと二人っきりでやってきた球蹴りも、変わりつつあります。
こうなることを見越して、
去年は暖かい季節の間だけ、一緒にプールへ通いました。
子どもの頃のトラウマで、30歳になっても水が怖かった僕ですから、
子どもと水遊びをするときは、人一倍気を遣います。
親になったばかりで、子供の事をなんにも知らなかった時に出会い、
子供を育てていく過程での「ものさし」になってくれた本。
子供に過度の期待をせず、子供らしく育てたかった僕にとって、
「これぐらいでいいんだな」って、この本を読むと安心できた。
草サッカーで初めての相手と試合をする時や、講習会などで初めて会う人と練習するときなどに、ボディーコンタクト(いわゆる「あたり」)の加減を、どこまでやっていいものか、いつも考えてしまう。
こどものサッカースクールでゲームを観戦しているときも、それを考えて(しまって)いる子と、そうでない子がいるのがよく分る。考えていない子は、あたりの加減を知っている子とそうでない子に分類され、加減を知っている子には、そのほとんどに年上の兄弟がいる。
年上の兄弟とだったら、遠慮無く戦う事ができる。
相手は適当にいなしてくれるし、やりすぎれば叱ってくれる。
いわば日常から一対一の練習をしているようなものだ。
JFA キッズハンドブックにも、
Dorothy Law Nolteの「子は親の鏡」(Children Learn What They Live)
という詩が紹介されていますが、そのドロシー・ロー・ノルトの著書です。
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