Top Page 親子で球蹴り 「教える」ということ 基準を知らなければ自由は与えられない

2008年02月01日

基準を知らなければ自由は与えられない

田嶋幸三さんがJFAアカデミー福島についお話しされた際に、

『なぜもっと自由にやらせないのか?』と言われる事があるが、『基準を知らなければ自由は与えられない』とデュソー氏は言っている。

とおっしゃっていました。
このデュソー氏の言葉について、もっと正確に詳しくお聞きしたかったので、JFAアカデミー福島のスタッフに問い合わせてみたところ、

デュソー氏が言う、『基準を知らなければ自由は与えられない』という意味は、選手に対しまずは「サッカー」の基本、原理原則を教えてあげなくてはならないという事です。
選手に「自由なプレー」をさせるという意味も、好き勝手にプレーをさせるという事ではありません。

と返事をもらいました。

この「基準」とは「サッカーの基本」「原理原則」を指していて、例えば、

  • ボールを取られたら取り返す
  • 自軍ゴール前でドリブルをしてボールを失い失点をする
  • 自軍ゴール前で不用意な横パスを簡単に相手に取られる
  • 無謀なドリブルをしてボールを失う

というようにサッカーをする上で、

  • しなければならない事
  • してはいけない事
  • 知っていなければならない事

だそうで、

知らなければ教えてあげなくてはなりません。
それをオーバーコーチングであると捉えるのは違います。

とありました。

この「『基準』を教える事」が、Technical news Vol.22 P.28に書かれている、

育成のサッカーはしつけである!

という言葉の「しつけ」にあたるんですね。

また、「自由なプレー」については、

まずは正確な判断・技術を取得させた上に それぞれの選手がクリエイティビティーを発揮する事が大前提です。「正しい判断」「技術」があるからこそ、そこから創造性のあるプレーが生まれるのです。

とありました。

日本には「自由」という意味の言葉はひとつしかありませんが、海外には、

  • 野放しの自由
  • 与えられた自由
  • 勝ち取った自由

などを表す複数の言葉があります。

「しつけ」がなされていないまま、正確な判断が出来ないまま与えられた「自由」は、「野放しの自由」で、どんな社会にもあってはならない「自由」だと思います。

ちなみに「」とは、英語に翻訳すると"training"と"discipline"だそうで、そもそも「躾」="training"なんですが、厄介な事に""は「規律」と訳されてしまうんですね。

サッカーでは"discipline"を「規律」と訳さず、「躾」と表現して欲しいと思いました。

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