2011.03.26のさっかーのーとから
- 3月26日土曜日
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今日やる事
- 周りの状況を見る
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今日コーチに言われた事
- 周りを見てない
- もっと考えながらプレーする
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気付いた事
- 自分は、考えず思いついたプレーをしすぎてる
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次直す事
- ボールがきた時なにも考えず体が動くのはいいけど、ボールを持ってない時は、ずっと考え続けておく
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次やる事
- ボールを持ってない時は常に次のプレーを考え続けてる
今日やる事
今日コーチに言われた事
気付いた事
次直す事
次やる事
2月22日木曜日
はんだんするには、つぎなにするか考える。
僕が小学生の頃は、「なぞなぞの本」が愛読書だった。
分厚いその本を何度も何度も読み返して、科学にはまった。
科学の本を読み始めたら、科学者になりたいと思うようになり、
「どうしたら科学者になれるんだろう?」って、科学者の伝記を読むようになった。
「忘れん坊」の科学者の話を読んで「僕と一緒だ!」って安心してみたり、
人間味のある科学者の存在が、科学をより身近に感じさせてくれたりもした。
あの頃は自分で実験道具を作り出しては、机の上で実験を繰り返していたっけな。
ひょっとすると、今も同じ事をしているのかもしれない。
11月23日木曜日曇り
後からボールがくるときは、ぜんたいを見るためにふくらみながらボールをうける。
僕も遥か昔にそう教えられた記憶があります。
だけど、こどもにサッカーを教える時には、イイ指導だとは思いません。
こんな風に考えているから、キックのフォームが崩れてしまったんだね。
インサイドキックを初めてしたときの事を思い出してみようかな。
毎週一回、たった一回しかできない親子練習のメニューの中で、CoordinationTrainingの一つという位置づけをして、ボールリフティングを行ってきた。
だけど、始めたばかりの練習、覚えたての技術という事もあり、こどものボールリフティングは、まだ練習になっていない。
ワンバウンド・リフティングでは、ボールの後を追いかけながら蹴り上げては一休み、ノーバウンドで挑戦しても、ほんの数回ただ足に当てて蹴り上げはするものの、最後は蹴り損ねたボールの後を追いかけて一休み。
この「一休み」は、ただ闇雲にボールを蹴り上げ続けるのではなく、ボールをどうしたいのか?そして、その後で何をするのか?を、イメージしてから始めるために、僕がこどもに指示した事。
ボールに追従して動かされるのではなく、ボールをコントロールしなければサッカーにはならないからね。
だから、現状のこどもの練習として考えるのであれば、この「一休み」をしないのなら、ボールリフティングなんてしないい方がイイ。
また、僕の場合、あらかじめ設定してある目標を達成するか、それに代わる何かを得られるまで一つの練習を終える事はしない。
そんなこんなで、このボールリフティングのために、30分近くの多くの時間を費やしている。
子どもが日記を始めた。
毎日書いているわけじゃないけど、あったこと、思ったこと、言われたことを書いている。
書き終わる度に「読んでみて」と持ってくるところが子どもらしい。
昨日は、サッカースクールから帰る車の中で僕と一緒に考えたこと
「味方がボールを持っている時は、なにをすればいいんだろう?」
「味方にパスをしてもらうためには、どうすればいいのかな?」
を、忘れてしまわないように大きな字で書いていた。
馬鹿馬鹿しい。
「ゆとり」だの「総合的」だの言ったって、看板やコピー替えて同じ商売しているんだから…
こうなるのは最初っから解っていた事。
ちょっとやってみて駄目だったら元に戻せばイイやって思っていたんじゃないの?
昔のままでも教師の裁量で「ゆとり」を作れる仕組みがあればイイんだし、
今のままでも「総合的」を『国語的に考える時間』とか
『数学的に考える時間』として利用できればイイんだからさ。
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