« First ‹ Prev 1 | 2 | 3 | 4

2006年04月26日

手本になる

昨日は久しぶりに、こどもと二人でプールに行った。

クロールを教えて欲しいという要望に応えて教えてみる、「これでイイのかな?」って疑問に思いながら...

こどもは、クロールで泳げる僕なら当然教えられる、教えてくれるものだと信じて疑わない。だけど、僕は水泳なんて誰かに教わった訳じゃないし、正直な話、30歳を過ぎる頃まで水が怖かった。

スポーツジムで泳いでいる人の様子を観ながら見よう見まねで泳ぎを覚えて、その過程で怖い水を克服していったぐらいなんだから、人に水泳を教えるなんてとてもじゃないができるとは思えない。

続きを読む »

2005年12月29日

ボール以前に必要なもの

その一)つづき
選手達が何を苦手としているのかは、見れば分ります。
極端な言い方をすれば、「脚だけを操作するのは上手」ということです。

正しい言い方ではないと思いますが、上半身は脚と連動していません。
もっと言えば、左右のバランスさえとれていません。

これは、得意な脚だけを巧みに動かしてボールを操作することだけをやってきたからでしょうか?

サッカーだけを一生懸命やってきたからなのでしょうか?(それでは悲しすぎます。

サッカーの指導者が、練習の中にコーディネーション・トレーニングを取り入れてさえいれば、
それだけで解決できたことなのでしょうか?

サッカーには何か足りないものがあるのでしょうか?

続きを読む »

2005年03月29日

今、僕の知りたいこと

コーディネーション・トレーニングが大事なことは解る。
コーディネーション・トレーニングに関する情報もある。

だけど、実際に今何をすべきかが解りにくい。
解りにくいとは、僕自身が「解った」と判断できない、ということだ。

本を読んで、情報を集め、マニュアル通りのトレーニングをやらせることもできる。
だけど、僕自身が納得できない事はやりたくない。

今一番知りたいこと、
教えてもらいたいことは、ここにあるんだけどな。

続きを読む »

2005年01月28日

誰のための教育?

馬鹿馬鹿しい。
「ゆとり」だの「総合的」だの言ったって、看板やコピー替えて同じ商売しているんだから…

こうなるのは最初っから解っていた事。
ちょっとやってみて駄目だったら元に戻せばイイやって思っていたんじゃないの?

昔のままでも教師の裁量で「ゆとり」を作れる仕組みがあればイイんだし、
今のままでも「総合的」を『国語的に考える時間』とか
『数学的に考える時間』として利用できればイイんだからさ。

続きを読む »
« First ‹ Prev 1 | 2 | 3 | 4