2009年06月11日
2008年11月24日
2008.11.23のさっかーのーとから
- 11月23日日曜日晴れ
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2人でれんしゅうをしてるんだから、
一人でれんしゅうしているんじゃないんだから、自分さえよければいいと思ってやらない。仲間にめいわくをかけるから。 -
今日ブラジルたいそうもパスも全ぶだらけてたから、シュートのれんしゅうがぜんぜんできなかった。
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ボレーのときつまさきに当るのは、足首が曲がっているから。だからもっと足首をのばす。
ボレーのとき、つまさきにボールが当るのは、体を動かしてないから。 -
ドリブルの時、アウトサイドドリブルとか、外足とかでやる時、自分の一番やりやすいリズムをさがしてやる。
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すぐダッシュをするには、おもいっきり地面をけって、その足に重しんをかける。
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シュートの時、今日はボールしか見てなかったからシュートが入らなかった。だからといってゴールだけ見ててもは入らない。そういう時は全体を見ながらシュートする。
2008年09月16日
2008.09.15のさっかーのーとから
- 9月15日
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ボレーの時、今日どうしてあせってやったかというと、むねトラップであっちこっちいってたから。
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ファスナーパスの時、まよこにパスしない。相手が次けりにくいから。
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シュートで、自分が「はい」っていってすぐボールはこないから、そのことをけいさんにいれて声を出す。
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ターンで、まわったらすぐ次の足でさわる。もし相手がいたら、すぐとられるから。
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パスで足を上げながらけらない。ボールがうくし、そのあとすぐ前にいけないから。
2007年12月21日
調整する能力を養うもの
コオーディネーション(コーディネーション)・トレーニングは、単純なドリル・トレーニングではないんですよね。
「今、僕の知りたいこと」にコメントいただいた、
コオーディネーショントレーニングを体系づける試みは、たくさんあるのですが、そのモデルが独り歩きし、反復(固定)的に練習されるようになると、その途端、狙っている部分から逸脱してしまいますよね。
体系化と脱構築の配合が難しいです。
という、U.K. さんの言葉を思い出します。
僕は、コーディネーション・トレーニングを、「調整する能力を引き出し、養うもの」だと考えます。
だから、ある動作や技術を「教え込ませるためのもの」とは違うと認識しています。
また、サッカーのCoordination Trainingである以上、サッカーの目的にあったトレーニングであるべきだと思います。
2007年11月18日
2007.11.17のさっかーのーとから
11月17日土曜日晴れ
パスやシュートでうまくできたら、そのかんかくをおぼえていて、
次にパスの時やシュートの時にいかす。
シミーの時に早くするんじゃなくて、ためながらやればひっかかる。
ずっとドリブルしてればとられない。
2007年10月29日
2007.10.28のさっかーのーとから
10月28日日曜日晴れ きょううまくできたかんかくをずっとおぼえておく。
いつもきょうみたいにまじめにれんしゅうする。
きょうは、インサイドキックのれんしゅういがいは全ぶうまくできたけど、
次は全ぶうまくできるようにする。
2007年05月02日
四本の脚で蹴る
フォームは直ったけど、体重が前に乗らない。重心が後方に残ったままだと感じるのは、骨盤が前に出ないからなんだろうか?
最近は、以前にも増して座ったままで仕事をしている時間が長くなったから、身体の前後のバランスと、上下のバランスが崩れちゃったんだろうな。
左に開くで気づいたことなのに、全く改善されていなかったわけだ。
だから今日は フォームが戻ったに書いた事を思いだして、上半身を意識してトレーニングをしてきた。
2007年04月27日
フォームは直ったけど
鏡の前でインサイドキックの素振りをするぶんには、フォームは確かに戻っている。
戻ったと言うよりは、思い出したという程度なのかな。
で、実際にボールを蹴ってみると、まだ全然ダメ。
身体が蹴り足方向に開き、体重は前に乗らない。
ボールを蹴った後も、身体が自然に前へ進む事は無く、意識して前に移動させているだけ。
いつからこんなフォームになっていたんだろう?
どうしていままで気がつかなかったのかな?
2007年02月05日
考える練習をしよう
- 考える練習をしよう (子どものためのライフ・スタイル)
- 著者: マリリン・バーンズ
- 翻訳: 左京 久代
- 出版社: 晶文社
- 発売日: 1985/03
- ほかにもあります
- きみも音楽家になれる
- カラダにいいものを食べよう
- 自然と友だちになるには
僕が小学生の頃は、「なぞなぞの本」が愛読書だった。
分厚いその本を何度も何度も読み返して、科学にはまった。
科学の本を読み始めたら、科学者になりたいと思うようになり、
「どうしたら科学者になれるんだろう?」って、科学者の伝記を読むようになった。
「忘れん坊」の科学者の話を読んで「僕と一緒だ!」って安心してみたり、
人間味のある科学者の存在が、科学をより身近に感じさせてくれたりもした。
あの頃は自分で実験道具を作り出しては、机の上で実験を繰り返していたっけな。
ひょっとすると、今も同じ事をしているのかもしれない。
2006年07月23日
体に覚え込ませなければならないこと
「負けちゃったね。でもみんな頑張ってたよ」
「帰ったら、サッカーノートに書かなくちゃね」