上手な先生
練習の合間に、見よう見まねで覚えたというフェイントを見せてくれた。
大まかな動作はできているんだけど、インチキな部分がある。
「そうじゃないだろ」と、正しいフォームを教えてあげると、反対側の脚は、すぐに正しいフォームをマスターしたのに、本来利き脚のはずの脚が、どうしても上手く動かない。
おそらく、利き脚のほうだけで何度も繰り返し練習したのだろう。
おぼえて間もないはずのインチキなフェイントが、悪い癖になって身に付いてしまっている。
練習の合間に、見よう見まねで覚えたというフェイントを見せてくれた。
大まかな動作はできているんだけど、インチキな部分がある。
「そうじゃないだろ」と、正しいフォームを教えてあげると、反対側の脚は、すぐに正しいフォームをマスターしたのに、本来利き脚のはずの脚が、どうしても上手く動かない。
おそらく、利き脚のほうだけで何度も繰り返し練習したのだろう。
おぼえて間もないはずのインチキなフェイントが、悪い癖になって身に付いてしまっている。
親になったばかりで、子供の事をなんにも知らなかった時に出会い、
子供を育てていく過程での「ものさし」になってくれた本。
子供に過度の期待をせず、子供らしく育てたかった僕にとって、
「これぐらいでいいんだな」って、この本を読むと安心できた。
研修会の講義の冒頭で、あるチームの監督さんの講演を話題に取りあげていました。
自分の監督人生を顧みて「…サッカーを教えた事がない」と言われたそうです。
料理人は弟子達に料理を教えないもので、「料理は盗むもの」だと言われます。
僕は料理が好きで、山登りをしたりキャンプへ行ったりしたときにも料理をしますが、教えてもらったり、レシピを見ながらつくる料理は、全部の材料が揃っていないと美味しくつくる事ができません。
ところが、料理番組などを見て「これを作ってみたいな」と思い憶えていた料理などは、たとえ材料や調味料についてうるおぼえだったとしても、意外においしく作れてしまいますし、その料理の基本を応用して、別の料理に仕立てる事もできてしまいます。
僕の好きな先生は、小学校一年の時の担任の先生。
専門は「体育」だったと思うけど、話がとても面白かった。
いろんな遊びを教えてくれた。
子供の頃は「金太郎」ってあだ名だったと言っていたっけ…
小学校の時の理科の先生も、僕の好きな先生。
科学クラブの顧問で、いろんな実験をさせてくれた。
科学センターに行って、一緒に実験するときも一番楽しそうにしていたっけ…
中学校では、理科の授業が一番記憶に残っている。
教科書には書かれていない面白い話をいっぱいしてくれた。
黒板も滅多に使わないから、真剣に授業を聞いていたっけ…
僕のホームグラウンド西が丘サッカー場へ行ってきました。
講習会を受講するためだったのですが、30年ぶりに西が丘の芝でサッカーをさせていただきました。
馬鹿馬鹿しい。
「ゆとり」だの「総合的」だの言ったって、看板やコピー替えて同じ商売しているんだから…
こうなるのは最初っから解っていた事。
ちょっとやってみて駄目だったら元に戻せばイイやって思っていたんじゃないの?
昔のままでも教師の裁量で「ゆとり」を作れる仕組みがあればイイんだし、
今のままでも「総合的」を『国語的に考える時間』とか
『数学的に考える時間』として利用できればイイんだからさ。
ここでは、本来「考える」をテーマにしているので、
「こうである」と言い切ったり、結論付けたりしない方針なんだけど、
これだけは自分に言い聞かせる意味で敢えて言い切っておきたい。
「失敗を叱ってはいけない」
失敗を叱られた子供は、失敗をしないようにする。
失敗がなぜ起きたのかを考え、その何故かが解かればいいのだけれど、
失敗の原因を考えもせず、「叱られないようにする」方法を身に付けてしまうと元も子もない。
「習慣」とは広辞苑(岩波書店)によると、
後天的に身につけた行動方法で、比較的固定して、少ない努力で反復できるもの。
狭義には、特に知識に関係したものを 記憶と 呼んで、運動に関係したものだけを習慣という。
とあり、また
…(略)、外部の影響によって変化を生じ、これに対する感受性を失う事。
とあった。
ただ、試しにと思って辞書検索のサイトでも調べてみると、
繰り返し行うこと。
とも記載されていた。
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